ファッションと自己紹介のことを考え記録します。

私革命ver.0.8

 

※あきやあさみさんの「自問自答ファッション講座」のメソッドにしたがって考えている経過の個人的メモです。

 

私は今秋、自分がどんな服を、どんな場に選んでいるかの中に、周りの人へのメッセージが含まれているのなら、一着たりとも妥協して着るわけにはいかないなと実感をもって思えるようになりました。

すっごい当たり前のことです。でも私にとっては今初めてのことで、けっこうなかなか感動してしまいました。

この感動を忘れないために、ここまでの流れを記録しておきたいと思います。また5,000字くらいあるので、読んでくださる方には恐縮ですが……もしよろしければお付き合いいただけるとうれしいです。

 

 

私革命

革命①私、自分になりたい

先日、私は自分のコンセプトを考えていて、「キャンプ」というキーワードを得ました。

アウトドアなやつではありません。1960年代にスーザン・ソンタグという人が「《キャンプ》についてのノート」という文章で論じた美意識・価値観です。2019年のメットガラのテーマになったことで近年話題になりましたが、その段階では、ちょっと古いんじゃないかな、というのが正直な感想でした。

 

しかし最近、ソンタグの『反解釈』を読んでみたら、共感の連続なのです。「キャンプ」についても、「これ、要するに私のことではないか?」と思ってしまいました。

もちろん全部が全部一緒ではありません。ただ私の地の部分、つまり子供の頃からの癖だとかに、「キャンプ」との接点があるような気がしてならないのです。

そして、その地の部分を、否定せずに活用していく方がよいんじゃないかと思えたのです。キャンプという概念の中身も私にとっては大事ですが、それだけではなくて、「自分の地の部分を生かしていこう、私がなりたいのは自分自身だ」という発想を持てたこと自体が、私革命ver.0.2くらいのインパクトでした。「なりたい」自分を外から探してくるのではなくて、自分の中から掘り当てたような感覚です。

きっと、「私がなりたいのは自分自身だ」なんて言うと、自己肯定感が突き抜けて高い人みたいに見えることでしょう。けれども実際のところ、私はその辺かなり危うめでした。「自分にはお風呂入る資格なんてない(貴重なお水やガスを自分のために使って、汚れたお湯を流すなんて…)」と思い込んでお風呂に入れず、したがって外出もできないみたいな病み方をしていた時期が、年単位でありました。

そこからまた年単位で時間をかけて回復していった結果、今があります。あの無気力と罪業感からなんで今こんなふうに変われたのか、自分でも全くわかっていないのですが…ひとまず2018年あたりの私が今の私を見たら、きっと驚くことでしょう。

 

 

革命②自己表現はできない、でも自己紹介なら

私革命をさらにver.0.2から0.5まで押し上げてくれたのが、ツイッターでした。

私はもともとかなり傍若無人な性格をしています。けして人嫌いではないのですが、一人遊びも大好きなので、だいたいどこにでも一人で行けます。

だから、一番最初のコンセプトも「明るい曇り空の不穏な海」でした。もう……

人間に!!!なれよ!!!海を目指すな!!!

とセルフツッコミしたくなります。人間社会を一顧だにしてない。

 

 

しかし、ツイッターを始めてみると、自分が客観的に見てあまりによくわからない人なので、これではいけない、ちゃんと自己紹介しないといけない、と思うことができました。

そしてそのとき、ファッションというものは、非常に自己紹介に適した形式だと気づいたのです。

ファッションは不特定多数の人に向けて一度に発信できて、言葉の通じない相手にも何かを届けることができます。相手が目の見えない人だったとしても、香り、足音、肌触りなどから、きっと伝わっていくものがあるでしょう。

それだけ伝える力を持ちつつも、そのファッションに対してどんな反応をするのかは全部相手に委ねるような優しさがあるのが、言葉によるコミュニケーションなどと違う所かな、と思います。

 

 

これも、すっごく当たり前のことなのかもしれません。「ファッションを通じて自己表現する」というような言い方でなら、わりとよく聞く話な気がします。

ただ、「ファッションは自己表現である」という考え方は、今まで私は自分のものにできていませんでした。その理由は、個人的な理由(私個人の事情からくる理由)とより一般論な理由(もう少し他の人にもあてはまるかもしれない理由)の、両方がありました。

 

個人的な理由のほうは大変単純。「ファッションよりも自分に合った表現形式を持っているから」です。そちらに全力を尽くしたいので、ファッションで表現しないといけないことや、モチベーションが自分の中に残っていません。

 

より一般的な理由の方は、「自己表現と自己紹介の間に違いがあることに、あまり自覚的ではなかったから」です。自己紹介と自己表現、一見よく似た言葉かもしれませんが、今改めて考えてみると、どうも性格が違うものなんじゃないでしょうか。

 

ポイントになるのは他者との関係性です。違いが見えやすくなるように、「自己」を「ロリィタファッションの世界観」に置き換えてみましょう(ロリィタのことわからないのに例に出しちゃったので、何か間違ってたり失礼だったらごめんなさい!)

紹介とは、「ロリィタの世界観」のことをよく知らないであろう誰かに向かって、その人にとってわかりやすいように、ロリィタとはどんなものなのかを示すことです。「ロリィタの世界観の紹介」は、その紹介を受け止めてくれる第三者がいないと成り立ちません。さらにいうとその第三者は、自分とは全然違う文化の中にある相手でないと成り立ちません。

一方「ロリィタの世界観」を表現する場合は、第三者の存在は必ずしも必要ないでしょう。周りに理解者が一人もいなかったとしても、孤高のロリィタを貫くことはできます。もちろん、そのロリィタファッションが周りの人に影響を与えていくような場合もあるでしょう。しかし、スタート地点にあるのは、やはり自分自身のためにロリィタを着ようとする、自発的な姿勢だろうと思うのです。

 

 

つまり、「紹介」は自分と違う他者のために行うところから始まるのに対して、「表現」は、まず自分自身のために行うところから始まる、その点が違うのだと思います。

私は、「ファッションは自己表現」と聞くと、どうも後者の、「自分自身のために着る」という性格が強いように感じていました。だから、義務感としては「ちゃんと自分を表現しないといけない」、と思いつつ、正直な気持ちとしては「他に表現手段を持っている私にとっては、あんまり関係ないなあ」と思ってしまっていました。けれども「自己紹介」なら、とても自分にとって必要なことだ、と感じることができたのです。

 

これからは、私の前に立つ人が、「こいつ何……?なんなの??どう付き合ったらいい???」って困ることのないように、わかりやすく、ちゃんと自己紹介したい。そう思えるようになったのが、私革命ver.0.5です。

でもそれは、自分自身の心や思考、感覚を置き去りにすることを意味しません。スタートは相手のためにすることであっても、それは回り回って私のためでもあるはずなのです。私は一人で生きているのではないのですから。

 

 

革命③はじめての断服式と表現者としての自覚

そしてこの秋、私は初めての断服式というものを体験しました。正確にはまだ完遂できていませんが……

 

www.jimon-jitou.com

 

断服式というのは、要するに心を決めて服を手放し、理想のクローゼットに近づけていくことなわけなのですが(私が間違ってなければ)、まあこれが辛い。私は幼稚園の頃のはさみをいまだに使っているような物持ちおばけです。なおかつ、自問自答ガールズの皆様の中でもトップクラスに生計が不安定な自信があります。持っている物を手放すのには相当の勇気がいります。

 

ただ、さきほどの「私はファッションで自己紹介をしたい」という気持ちを持っていると、意識が変わりました。

私はこの服で自己紹介できているだろうか、相手を困らせていないだろうか、よいメッセージを発信できているだろうか……、そう思うと、やっぱり妥協して服を着ることは、どうしてもできないなと思うようになりました。

 

これは私自身の仕事とも関わってくることなのですが……私は表現することを仕事としていて、なおかつ、人前に立ちます。タレントではないですけれども、自分自身のキャラクターを含めて作りこんでいった方がよいだろう仕事です。

しかも、私と私の前にいる人達の間には、権力勾配があります。堅苦しい言い方ですが、要するに、私は立場的・イメージ的に「えらい」側として人前に立つのです。

その事実を思えば思うほど、私は自分の前の人たちに対して、誠実であらねばならないと思うようになりました。

特に私は、基本的に若い人たちの前に立ちます。私は、自分より後からこの世界を歩いてくる人たちのために、せめて少しでも通りやすい道を作ってあげたいとかねてから思っています。そんな自分が、昔ながらのステレオタイプになんとなく従う服なんかを、着るわけにはいかないなと思いました。

 

……なんだか嫌な物言いになってしまいました。「~してあげたい」と言うとすごく上から目線に聞こえますし、「~しなくてはならない」と言うと、ただの義務感で我慢しているように見えうるでしょう。

しかし私の実感としては、むしろ逆です。このように考えることで、私はむしろ、自分がどれだけ周囲の人(特に若い人たち)に支えてもらっているか、それがどれだけ嬉しいことか、あらためて気づかせてもらいました。私の背中に一本芯を入れてもらったように、勇気をもらった気分です。
そもそも服を着て誰かとともに生きている限り、全ての人は何かを表現しているはずなのです。私はそこに気づけていませんでしたが、Twitterと、仕事と、仕事の中で関わる若い人達に教えてもらいました。だからもう全部、周りの人たちのおかげです。

 

そう思えたあたりで、私革命0.7くらいまできました。

 

 

革命④なりたい自分になればよくない?

さて、それではどんな装いでなら自己紹介できるのか。

ちょっと考えてみて、その肝心のところが全然わかっていない自分に気づきました。コンセプトが未定なのですから当然といえば当然ですが、まずどのお店に行けばよいのかから、けっこう迷子です。

しかも、現実には服だけのために生きているわけではない……というよりやっぱり本業の仕事の方が大事なので、かけられる時間にも限度があります。

じゃあどうするかな、と思って、改めて雑誌を見て勉強することを思いつきました。そして雑誌を見たとき、以前とは雑誌の見方が全く変わっている自分を見つけました。

 

中学生の頃、ファッション誌とかを見ていたときは、「いいな~こんな格好できたらいいのにな~」とか漠然と眺めていました。中学生なので、どれも自分には無理だ、ということが前提になっていたのです。

しかし、今私は、「お店どこ行ったらいいかわからないから雑誌みよう」「いいものがあったら見に行こう」という動機でページを開きました。そうしたら降りてくる発想も全く別のものでした。

いいな~と思うコーデがあるなら、そのままそれを着たらよくないか?

まず自分が惹かれるものをそのまま真似してみることで、コーデを組む練習をしたらいいんじゃないか。そして自分が惹かれたコーデが自己紹介としてどのくらい機能しているか、周りの反応を見て観察して、調整していけばいいんじゃないか。

そんなふうに思ったのです。

マネキン買いという言葉がありましたが、それの雑誌バージョンでしょうか。

 

 

このコーデをまるごと買うという発想が、すっごい革命でした。「私は服じゃなくて、スタイルを買うんだ」という実感が持てたからです。

今までは、妄想クローゼットをアイテム単位でばかり選んでしまっていて、あまり活用できていない(正確には、活用できそうだという実感がわいてこない)状態でした。また何となく、「着回し」できることがおしゃれであって、マネキン買いなんかはあまりおしゃれが得意でない人がやること、というような印象がありました。でも考えてみれば、服を着るときの本来のゴールは「着回し」ではないはずです。全体のコーディネートを組むことのはずです。

この意識の変化は、断服式のモチベーションにもなりました。細切れに買ったアイテムからどうにか変じゃない装いを作るのではなくて、スタイルを作り上げるために個々のアイテムがあるのなら、やっぱり着れない服は着れないな、と納得がいったからです。

 

自問自答ファッション通信のあきやさんは3セットの服を制服化されています。前は、「そこまで絞るのはすごいなあ……私にはできないなあ……」と思ってしまっていたのですが、もしかしたら私もそのスタイルが合うかもしれない、という実感が初めてわいてきました。というかたぶん、私の経済力と洋服の継続的お世話能力を考えると、コーデ丸ごと買いできるセットは、自然と少数に落ち着きそうです。

まだコーデを買うという買い方に慣れていないので、最初は雑誌のコーデに頼る形になりますが、いつか補助輪を外して、自分自身で組むことができるようになるでしょうか。

 

 

革命まとめ

最後に、ここまでのちっちゃい革命たちを、まとめ直しておきたいと思います。

まず、コンセプトの素案に「明るい曇り空の不穏な海」を選んでしまうような私の地の部分は、「キャンプ」を新コンセプトに盛り込むかぎり、ずっと残り続けます。

そういう社会ガン無視しちゃう自分の個性は、コンセプト(革命①)の方でいやでも発揮されちゃうだろうとして、ファッションに向き合う基本姿勢としては、「自己紹介」(革命②)と「表現者としての自覚」(革命③)を大事にしたいと思います。

そして、それを実現するための具体的な実践方法(兼練習)は、コンセプトを練りつつ、惹かれるコーデ丸ごと買い(革命④)を試したいと思います。

 

ここまで書いてきたことは、結局あきやさんがお書きになっていることとかなり重なっています。わざわざ私がブログに書く必要はあまりなかったのですが、ただ、私自身にとっては、それが私自身の中で腹落ちしたということ、心から実感できたということが、とても大事でした。

革命は下から上をひっくり返すこと、上から降りてきた天の恵みの声(あきやさんの声)を聞くだけではだめなのです。天の声に応えて、下から動き出さないとだめなのです。今回は、その動き出す自分を感じられたような体験でした。

まだ行動できているわけではないので私革命はver.0.8くらいですが、そのうち小数点の壁を越えたいと思います(でも調べてみたらバージョンの数の点って小数点じゃないんだそうです、初めて知りました)

 

それからあきやさんの講座か教室に行って、私はちゃんと自己紹介できてるか、もっとよい自己紹介をするにはどうしたらいいか、皆様の声を聞きながら考えられたらうれしい……かな!